今月の聖句と主題
2022年8月の聖句と主題
2022-08-01
今月の聖句
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(新約聖書 テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節)
愛少女ポリアンナ物語」という児童文学があります。1980年代後半ごろには世界名作劇場としてアニメも放送されていました。この作品の主人公のポリアンナは、幼いころに父親を病気で亡くしました。少女ポリアンナは、父のいない寂しさを抱えながらも明るく育ちます。そのポリアンナは、いつもある「ゲーム」を欠かさないことにしていました。ポリアンナが幼いころに病気で亡くなった、お父さんから教えてもらったもので、「よかった探し」というゲームでした。日常で起こる様々なことの中に、少なくともひとつは「よかった」と思えることを見つけるゲームです。ポリアンナは、楽しいときはもちろんですが、悲しいことがあっても落ち込む出来事が起きても、亡き父から教わったこのゲームをしていました。
今月の聖句は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」となっています。この聖句は一見、無理難題に思えます。いろんなことが起こる毎日では、どうしても喜べないときもありますし、どうしても感謝できないこともあるように思えます。
人生にはマイナスなことが起こるときがあります。起こってしまった出来事自体は、変わらないかもしれません。でも、それを自分がどう捉えるかで、その先の未来は変わってくると聖書は伝えています。つらいときこそ、人のありがたみがわかるということがあると思います。苦しい思いをしたけど、その経験をしたからこそ得られた考え方というのが、きっとあるように思います。
聖書によれば、すべての人が神さまに愛され守られています。だからこそわたしたちは、困ったときでも大変なときでも、神さまに導かれて神さまに愛されて、前進していけるというのが、今月の聖句のメッセージです。
今月の聖句は、「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」となっています。この聖句は一見、無理難題に思えます。いろんなことが起こる毎日では、どうしても喜べないときもありますし、どうしても感謝できないこともあるように思えます。
人生にはマイナスなことが起こるときがあります。起こってしまった出来事自体は、変わらないかもしれません。でも、それを自分がどう捉えるかで、その先の未来は変わってくると聖書は伝えています。つらいときこそ、人のありがたみがわかるということがあると思います。苦しい思いをしたけど、その経験をしたからこそ得られた考え方というのが、きっとあるように思います。
聖書によれば、すべての人が神さまに愛され守られています。だからこそわたしたちは、困ったときでも大変なときでも、神さまに導かれて神さまに愛されて、前進していけるというのが、今月の聖句のメッセージです。
(園長 西澤 献)
今月の主題
0・1・2歳児
~ゆったりと~
・暑い夏を体調を整えて過ごす。
・ゆったりと過ごす。
3・4・5歳児
・暑い夏を体調を整えて過ごす。
・ゆったりと過ごす。
3・4・5歳児
~祈りあう~
・いつでもどこにいても神さまが共にいてくださることを感じ祈り合う。
・セミの声、木陰の風の心地よさ、旬の野菜・果物の美味しさなど夏ならではの経験をする。
・いつでもどこにいても神さまが共にいてくださることを感じ祈り合う。
・セミの声、木陰の風の心地よさ、旬の野菜・果物の美味しさなど夏ならではの経験をする。


2022年7月の聖句と主題
2022-07-01
今月の聖句
「主に向かって、心からほめ歌いなさい。」
(新約聖書 エフェソの信徒への手紙5章19~20節(19節))
今月の聖句の全体は、「詩編と賛歌と霊的な歌によって語り合い、主に向かって心からほめ歌いなさい。」です。聖書が書かれたのは約2000年前ですが、そのころから礼拝には歌があったことが伝わってくる興味深い聖書箇所です。
五城保育園では定期的に礼拝をして子どもたちと一緒に賛美歌を歌っていますが、キリスト教の礼拝ははるか昔から歌と強く結び付いていました。その理由は諸説あって、礼拝中に退屈しないためだったという現実的な説もありますが、でもいちばんは、歌が「心から」感謝したり、信頼したりすることの良い助けになったからだと思います。ポップソングでも合唱曲でも何でも、人間は歌を歌うときは自然と心をこめると思います。キリスト教はそれだけ、形式や見た目より、心を大事にしてきました。
世間では、ものごとは、数字や証拠といった、見えるものを基準に動くことが多いかもしれません。それもそれで、必要なときがあります。ただ聖書は、見えるものや見せかけの形にとらわれすぎず、心を忘れないことを大事にしています。わたしたちも保育園で礼拝をして、お祈りをしたり、賛美歌を歌います。これからも聖書の精神に立って、わたしたちがいつでも、お互いに心を大切にし合えるように、願っています。
五城保育園では定期的に礼拝をして子どもたちと一緒に賛美歌を歌っていますが、キリスト教の礼拝ははるか昔から歌と強く結び付いていました。その理由は諸説あって、礼拝中に退屈しないためだったという現実的な説もありますが、でもいちばんは、歌が「心から」感謝したり、信頼したりすることの良い助けになったからだと思います。ポップソングでも合唱曲でも何でも、人間は歌を歌うときは自然と心をこめると思います。キリスト教はそれだけ、形式や見た目より、心を大事にしてきました。
世間では、ものごとは、数字や証拠といった、見えるものを基準に動くことが多いかもしれません。それもそれで、必要なときがあります。ただ聖書は、見えるものや見せかけの形にとらわれすぎず、心を忘れないことを大事にしています。わたしたちも保育園で礼拝をして、お祈りをしたり、賛美歌を歌います。これからも聖書の精神に立って、わたしたちがいつでも、お互いに心を大切にし合えるように、願っています。
(園長 西澤 献)
今月の主題
0・1・2歳児
~きもちいい~
・保育者とのかかわりの中で自分の思いを知る。
・砂や水に触れてその感触に興味を示す。
3・4・5歳児
・保育者とのかかわりの中で自分の思いを知る。
・砂や水に触れてその感触に興味を示す。
3・4・5歳児
~あらわして~
・絵本やお話や歌などに親しみ、イメージ(想像の世界)をふくらませる。
・ことば・歌・体で、神さまを賛美する。
・絵本やお話や歌などに親しみ、イメージ(想像の世界)をふくらませる。
・ことば・歌・体で、神さまを賛美する。


2022年6月の聖句と主題
2022-06-01
今月の聖句
「探しなさい。そうすれば、見つかる。」
(新約聖書 マタイによる福音書7章7~12節(7節))
今月は、福音書の中でよく知られた有名な聖句をご紹介します。あるときイエスは山の上で、「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。」と語りました。イエスの周りには多くの聴衆がいて、この言葉を聴きました。
ところで、わたしたちの現実では、「探すけど、見つからない」ことがあります。求めているのに得られないことが、よくあります。誰でも、望んだ結果にならなかったという経験をすると思います。それでもこの聖句は、聖書の中でも特に、たくさんの人々に好まれてきました。
実はイエスが言いたかったのは、「求めるものを、変えてみる」ということです。「自分が」欲しいものだけ求めていたら、それが得られなかったとき、あきらめるしかなくなって、そこで終わりになってしまいます。だからこそイエスは、「自分が」欲しいものの代わりに、「神さまが」自分に望んでいることを探してみなさいと、人々にアドバイスをしました。
神さまは、わたしたちにはわからないことも知っておられます。イエスは、その神さまが望むことを、探し求めるように言います。そうしたら、もし現実が自分の求めていた通りにならなくても、そこで「終わり」にはならないはずです。神さまが、その先へと導いてくれます。イエスは、「どんなときでも、あきらめずに希望を探しなさい」と、わたしたちに語りかけています。
ところで、わたしたちの現実では、「探すけど、見つからない」ことがあります。求めているのに得られないことが、よくあります。誰でも、望んだ結果にならなかったという経験をすると思います。それでもこの聖句は、聖書の中でも特に、たくさんの人々に好まれてきました。
実はイエスが言いたかったのは、「求めるものを、変えてみる」ということです。「自分が」欲しいものだけ求めていたら、それが得られなかったとき、あきらめるしかなくなって、そこで終わりになってしまいます。だからこそイエスは、「自分が」欲しいものの代わりに、「神さまが」自分に望んでいることを探してみなさいと、人々にアドバイスをしました。
神さまは、わたしたちにはわからないことも知っておられます。イエスは、その神さまが望むことを、探し求めるように言います。そうしたら、もし現実が自分の求めていた通りにならなくても、そこで「終わり」にはならないはずです。神さまが、その先へと導いてくれます。イエスは、「どんなときでも、あきらめずに希望を探しなさい」と、わたしたちに語りかけています。
(副園長 西澤 献)
今月の主題
0・1・2歳児
~めをとめて~
・様々な自然に触れ、親しみ、身体で感じる。
・保育者の祈りの言葉に心を合わせようとする。
3・4・5歳児
・様々な自然に触れ、親しみ、身体で感じる。
・保育者の祈りの言葉に心を合わせようとする。
3・4・5歳児
~探ってみる~
・嬉しい時にも、悲しい時にもお祈りをする。
・興味関心を持ったことを一人で、または友達と一緒にいてくださることを喜び、安心する。
・嬉しい時にも、悲しい時にもお祈りをする。
・興味関心を持ったことを一人で、または友達と一緒にいてくださることを喜び、安心する。


2022年5月の聖句と主題
2022-05-01
今月の聖句
「子どもたちをわたしのところに来させなさい。」
(新約聖書 マルコによる福音書10章13~16節(14節))
今月の聖書は、イエスが苦しむ人、病気の人、貧しい人などのところへ行って活動をしていたときのひとコマです。この場面には、イエスの癒しの力が書かれています。イエスが人々の体に触れたら、病気の苦しみが癒されたと書かれています。
その噂を聞いて、今度は人々が子どもたちを連れてきました。子どもたちもぜひイエスに触れてもらって、健康に育ってほしいと思ったようです。ただ、イエスと一緒に行動していた”弟子たち”は、子連れの人々を見て叱りました。聖書の時代は古代の社会で、現代のように「子どもの権利」の考えがありませんでした。2000年前の聖書の時代は、子どもは当時の社会の中でとても地位が低い存在だったといわれています。イエスの弟子たちは、その古代の価値観に生きていた古代人でしたので、大人たちの前に出てくる子どもたちを見て、つい癖で注意してしまった、ということでしょう。
それを見てイエスは、「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と、言いました。それが今月の聖句です。社会の地位とか階級とか、世の中の上下関係とか、そういったものは神さまの愛の前では関係ないことが、ここからわかります。
わたしたちの暮らすこの世の中にも、立場の弱い人、息苦しさを感じている人、ありのままの自分を認められていない人がいます。社会から必要な助けを得られていない人、抱える苦しみを誰にも気づいてもらえていない人が、いるはずです。神さまの愛は、そのような人々にも平等に注がれています。むしろそのような人々のもとでこそ、神さまの愛は大きな力になると、イエスは伝えています。
その噂を聞いて、今度は人々が子どもたちを連れてきました。子どもたちもぜひイエスに触れてもらって、健康に育ってほしいと思ったようです。ただ、イエスと一緒に行動していた”弟子たち”は、子連れの人々を見て叱りました。聖書の時代は古代の社会で、現代のように「子どもの権利」の考えがありませんでした。2000年前の聖書の時代は、子どもは当時の社会の中でとても地位が低い存在だったといわれています。イエスの弟子たちは、その古代の価値観に生きていた古代人でしたので、大人たちの前に出てくる子どもたちを見て、つい癖で注意してしまった、ということでしょう。
それを見てイエスは、「子どもたちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。」と、言いました。それが今月の聖句です。社会の地位とか階級とか、世の中の上下関係とか、そういったものは神さまの愛の前では関係ないことが、ここからわかります。
わたしたちの暮らすこの世の中にも、立場の弱い人、息苦しさを感じている人、ありのままの自分を認められていない人がいます。社会から必要な助けを得られていない人、抱える苦しみを誰にも気づいてもらえていない人が、いるはずです。神さまの愛は、そのような人々にも平等に注がれています。むしろそのような人々のもとでこそ、神さまの愛は大きな力になると、イエスは伝えています。
(副園長 西澤 献)
今月の主題
0・1・2歳児
~なにかな~
・保育者に受け止めてもらい、少しずつ自分を表現する。
・戸外に出て心地良い風に吹かれたり、きれいな花を見る。
3・4・5歳児
・保育者に受け止めてもらい、少しずつ自分を表現する。
・戸外に出て心地良い風に吹かれたり、きれいな花を見る。
3・4・5歳児
~心地良く~
・好きなことに心を寄せ、自分らしさをもって過ごす。
・神さま、イエスさまが一緒にいてくださることを喜び、安心する。
・好きなことに心を寄せ、自分らしさをもって過ごす。
・神さま、イエスさまが一緒にいてくださることを喜び、安心する。


2022年4月の聖句と主題
2022-04-01
今月の聖句
「わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。」
(旧約聖書 詩編121編1~2節(2節))
むかし3年B組の金八先生が、「人」という漢字は、ふたりの人がもたれかかって互いに支え合っている様子を表していると言ったそうです。
基本的に人間は、助け合うことができる生き物だと思います。でも、もし何らかの理由で、そのときその場所で周りに助けたり支えてくれる人が誰もいなかったら、どうなるのかという疑問がわきます。
わたしの通っていた高校の先生が、「君たち学生は、いまはずいぶん社会の荒波から守られています。」と言っていました。「社会に出たら、いまみたいに周りはなんでもかんでも助けてくれない。自分で何とかしないと、誰も助けてくれないんだ」と、言っていたことがありました。
「自分でなんとかする」というのもひとつの考え方だと思いますが、聖書は少し、違った考え方をします。今日の聖句、詩編121編1節にはまず、「わたしの助けはどこから来るのか」との問いかけが書かれています。そのあとの2節では、「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」と書かれます。聖書によれば、わたしたちには人からの助けだけではなく、神さまからの助けがあります。
わたしたちは日々、いろいろなところで人に助けられています。気づかないこともありますが、いろんな人に支えられて生きています。その他人を助ける人たちもまた、別の誰かに助けられて、生きてます。そして聖書によれば、人間はみんな、最終的には神さまに助けられています。ひとりひとりに、いつでも神さまの守りがあって、神さまが、進むべき道や必要な出会いを与えてくださいます。だからわたしたち人間は安心して、人を助けたり人に助けられて、互いに支え合っていけると今月の聖書は伝えています。
基本的に人間は、助け合うことができる生き物だと思います。でも、もし何らかの理由で、そのときその場所で周りに助けたり支えてくれる人が誰もいなかったら、どうなるのかという疑問がわきます。
わたしの通っていた高校の先生が、「君たち学生は、いまはずいぶん社会の荒波から守られています。」と言っていました。「社会に出たら、いまみたいに周りはなんでもかんでも助けてくれない。自分で何とかしないと、誰も助けてくれないんだ」と、言っていたことがありました。
「自分でなんとかする」というのもひとつの考え方だと思いますが、聖書は少し、違った考え方をします。今日の聖句、詩編121編1節にはまず、「わたしの助けはどこから来るのか」との問いかけが書かれています。そのあとの2節では、「わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから」と書かれます。聖書によれば、わたしたちには人からの助けだけではなく、神さまからの助けがあります。
わたしたちは日々、いろいろなところで人に助けられています。気づかないこともありますが、いろんな人に支えられて生きています。その他人を助ける人たちもまた、別の誰かに助けられて、生きてます。そして聖書によれば、人間はみんな、最終的には神さまに助けられています。ひとりひとりに、いつでも神さまの守りがあって、神さまが、進むべき道や必要な出会いを与えてくださいます。だからわたしたち人間は安心して、人を助けたり人に助けられて、互いに支え合っていけると今月の聖書は伝えています。
(副園長 西澤 献)
今月の主題
0・1・2歳児
~はじめまして/よろしくね~
・受け入れてもらえる安心感を持ち、過ごす。
・春の草花、虫などに触れ、心を開いていく。
3・4・5歳児
・受け入れてもらえる安心感を持ち、過ごす。
・春の草花、虫などに触れ、心を開いていく。
3・4・5歳児
~はじめの一歩~
・自分が受け止められ安心を重ねていく中で好きな遊びや場所が見つかる。
・春の訪れを喜び、草花や虫などに命あるものと触れ合うことや絵本や歌などに親しむ。
・自分が受け止められ安心を重ねていく中で好きな遊びや場所が見つかる。
・春の訪れを喜び、草花や虫などに命あるものと触れ合うことや絵本や歌などに親しむ。

