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ブログ

チャプレンだより

仙台東教会のあった町


五城保育園は現在の場所に移る前は、日本基督教団二十人町教会の敷地内にありました。
二十人町教会は、現在、「二十人町西交差点」内の北西にありました。
「イタガキ」のある交差点と言えばわかり良いかと思います。
二十人町は、江戸時代に足軽二十人衆が住んでいたことが由来です。
二十人町は鉄砲町と同時期に道路の拡張(再開発)工事に伴いまして、消滅してしまいました。
今では、交差点の名前や不動産屋さんの支店名にその名残がある程度です。
移り行く世相と街並みは、名残りだけを残して忘れ去られていきます。
それは何とも切ない、けれども新しいを生み出すきっかけとなります。
新しいを受け入れながら、今日も五城保育園があります。

光あれ


今日から年長のゆり組さんで聖話が始まりました。
10分ほどの聖話ですから、あまり多くのことを話すことはできません。
今回は、「聖書」という書物を実際に見てもらうだけで精一杯という感じでした。
宗教主事と言いましても、前任地の教会では子どもへ話すことがほとんどありませんでしたから、慣れないことばかりです。

さて、最初の聖話の聖書箇所は、「光あれ」(創世記1章3節) でした。
「光あれ」(創世記1章3節)という神さまの言葉があって初めてこの世に光が差し込みました。
「初めに言があった。」(ヨハネによる福音書1章1節)というのは、的を得た言葉です。
あらゆる植物や動物、アダムとエバという人間ができる前に光がありました。
ある意味で、光があって初めて世界は成り立っていることを意味しています。
すでに光ある中に生まれた私たちは、光を恵みとして感じることが少なくなっています。
太陽の光にとどまらず、隣人の目の光や、心の中の光でさえも軽んじられている世の中です。
少しでも光を見出し、光の子として歩んでいきたいものです。

そんなことよりも、先日より作成に取り掛かっていた泥だんごが割れました。
新しいのを作成中です。

トロイメライ


今日は端午の節句にまつわる特別メニューでした!
プレートの方は、まごいご飯、こいのぼりバーグ、吹き流しをイメージしたカラフルパスタ、マセドアンサラダでした。
それに、春キャベツスープとヨーグルトでした。

五城保育園の給食は、出汁をしっかりととってから作ってくださるのでとてもおいしいです。
毎回の給食が、とても楽しみです。

聖書の中に「種を蒔く人」のたとえ話があります。
どんな土地に種を蒔くのかで、結果は全く違うという話です。
神さまの話を聞く私たちの心が良い土壌でなければならないという教えです。
心をよく耕して柔らかくするためには、言葉だけでなく衣食住が必要です。
美味しいものを食べるだけでも、心は耕されます。
神さまの言葉は決して言葉だけではありません。

子どもたちが、今日もお昼ご飯をおいしく食べて、午後から元気いっぱいに遊べますように。アーメン。

トロイメライ


 子どもたちと遊んでいますと、本当に面白いことばかりです。
 黒いズボンを履けば、簡単に汚されます。
 シャツを着れば、ボタンが壊れそうになります。
 眼鏡はあって無いような扱いを受けます。
 足にまとわりついてきたかと思えば、今度は鬼ごっこをしようとせがまれました。
 
 いずれも、子どもたちは真剣です。
 先生のズボンを汚している瞬間も、足にしがみついている瞬間も全力です。
 その全力を受けている私は、1時間と持ちません。
 これを保育者の方々や、親御さんは毎日と思いますと、本当に頭が下がる思いです。

 有名なピアノ曲「トロイメライ」は、クララ・シューマンに「あなたって子どもみたいね」と言われたロベルト・シューマンが作曲しました。
 大人が思い描く子どもの情景は、実際の子どもとは程遠いわけです。
 夢想にふけるところの子どもは健気であどけないという可愛らしいイメージが連想されますが、本気の子どもはそんな夢想を打ち砕きます。
 
 自分が成長するにつれて子どもであった時分を今の自分と比べて小さく力がなかったと評価しがちです。
 しかし、大人になった私たちが生活に生きたり、お金に生きたりしているのと同じように、子どもの時分は遊ぶことが生きることです。
 今を生きることへのパワーは、大人よりも強烈かもしれません。
 「私は知った。/一生の間、喜び、幸せを造り出す以外に/人の子らに幸せはない。」コヘレトの言葉3章12節

泥だんご日記①


 皆さんは、泥だんごを造られたことありますか?
 私は、自分自身が保育園に在園していたころによく作っておりました。
 あまりうまく作れた記憶はありません。
 チャプレンは大人の本気を見せるために泥だんご作りを今週の月曜日から始めました。
 たかが泥だんご、されど泥だんごです。
 泥だんごとは思えないほどピカピカなものは、芸術とさえ思われます。
 同じ色を作ることが難しいほどにいろいろな色の泥だんごが存在します。
 青色に、赤色にとその色は千差万別です。
 日本には泥だんごのプロがいるらしいです。販売もされています。
 海外でも高く評価されています。

 創世記2章7節には「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」という言葉が書かれています。
 土から人間ができるわけないと思えるかもしれません。しかし、雑多で汚く見える泥だんごも磨けば固くなり光っていく過程を見ますと、決して土から私たちが出来上がっても不思議ではなくなるような気さえ致します。
 実際、私たちの魂は光り輝く原石として生まれてきましたけれども、何をしてはいけないのか、何をするべきなのか、人を赦せるのかなど多くの出来事によって磨かれていきます。
 きれいな泥だんごを割ると汚い部分が出てくるところは、いやはや人間と同じかもしれません。
 

備忘録について

 最近、書店でも備忘録と言う言葉を見かけなくなってきました。
 もはや死語になりつつあるのでしょうか。
 忘れそうなものを書き留めておく個人的な日記のような、あるいはメモ書きのような言葉である備忘録。

 年齢が行けば行くほど、備忘録は重要になってきます。
 しかし、子どもたちを見ておりますと、備忘録など不必要であるように思われてなりません。
 なぜなのだろうか。
 私は、子どもたちにとって今が重要であり、しなければならないに縛られていないからであると思っています。

 年齢が行けば行くほど、しなければならないこと、果たさなければならない役割、等々が増えてきます。
 何とも寂しいことですが、そのような「ねばならない」の中に幸せや悲しみが埋没してしまうのだと思えてならないのです。
 星野源さんの「くだらないのなかに」という歌の中にこんな歌詞が出てきます。
 「髪の毛の匂いを嗅ぎあって くさいなあってふざけあったり
   くだらないの中に愛が 人は笑うように生きる」
 こんな日常が埋没してしまう生活に備忘録は必要なのかもしれません。
 マタイによる福音書6章34節にこんな言葉があります。
 「明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」
 子どもも大人と同じようにして、「~せねばならない」から解放されて、今を生きたいものです。

春の終わりをおもう

 今日は、暑いぐらいのお天気でした。
 体調の崩しやすい天気ですが、元気いっぱいの子どもたちを見ていますと、元気が出てきます。
 春の陽気は、私たちを生命の息吹の只中へといざないます。
 その力強さは、命のはかなさや私たちの小ささを忘れさせます。
 旧約聖書の詩編にこんな言葉があります。

 「人の日々は草のよう。/野の花のように咲くのみ。 」詩編103編15節

 私たちの人生ははかない。桜の花のようと言っては美しいですけれども、そうとは限りません。
 それもまた人生なのだと旧約聖書の詩編は教えてくれます。
 また、百人一首を見ますと次のような歌が歌われています。
 
 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ 
                         紀友則

 まことに古人は、自然の移ろいから喜びだけではない豊かな恵みを受け取っていたのだなあ、とつくづく思わされます。
 自然の中を生きることを実感しにくい現代ですが、せめて桜の散るを覚えつつ自然との対話をしてみたいものです。

  2025年4月21日

チャプレンあれこれ

始めまして、五城保育園宗教主事(チャプレン)の佐々木玲哉です。
本日より、保育園のことやキリスト教のこと、教会のことなどをブログ形式で発信していきます。

宗教主事は、どんなお仕事をしているのだろうか?疑問に思われている方も多いのではないでしょうか。 
今は、週に3日(月、水、金)で保育園にいます。そのほかの曜日は、日本キリスト教団仙台東教会の牧師として働いております。
保育園では、聖書のお話をしたり、一緒に遊んだり、こうしてブログを書いたりしております。
教会では、日曜日の礼拝でメッセージを語ったり、掃除をしたり、書類を作成しております。
今日は、イースター礼拝とエッグハントをしました。チャプレンはウサギの耳をつけてたまごを見つけた子どもにイースターカードを手渡しておりました。
これから、どんな“風”が吹くのか楽しみです。

イースターは、神の御子イエス・キリストの復活をお祝いする日です。
十字架に付けられて、墓に葬られたイエス・キリストは、3日後に墓を閉じていた重たい石をどけて、生き返られました。
このお話が、嘘か真かはさておきましても、復活の主イエス・キリストを信じるのがキリスト教の信仰です。
そのことを、考えるのではなく、ただ信じるというのは私たちには難しいことかもしれません。
けれども、なぜ復活の主がこんなにも多くの人々に影響を与えたのか。
そこに息づく人々の苦しみに、一人でも多くの子どもに気づいてほしいと願っています。

  2025年4月18日
保育士の先生が取ってくれました。

2020年4月以降のブログについて

2020年4月より保育園のICTシステム「WEL-KIDS」を導入し、ブログも、通園している園児さんの保護者様へのみWEB配信しています。
保護者様専用のサイトなので、安心して楽しんでいただいております♪

にじいろ祭り開催!!

2020-03-26
年長組ゆり組さんのお別れ会として『にじいろまつり』が開かれました!
虹色のテープカットから始まり、様々なあそびのコーナーなど楽しいことが盛りだくさん!
暖かい日差しの下で、みんなでお弁当も食べました。
手作りクレープもおいしかったようで、「全部おいしい!全部楽しかった!」と皆とても充実した時間だったようです。
ゆり組さん、たくさんの思い出を胸に、小学校生活を楽しんでね!

卒園記念製作が完成!!

2020-03-03
今月卒園式を迎えるゆりぐみさんが卒園の記念に色鮮やかな虹の壁面を製作していました。
壁面の場所は2階のベランダ。
小さい子どもたちもきっと見たり触ったりと楽しんでくれることでしょう。
ゆり組さんにとっても思い出に残る時間になりました。
卒園してもまたこの絵を見に来てほしいと思います。

探してみよう!

2020-02-10
五城保育園のシンボルになっている塀のブドウの壁面。これは数十年前に父母の会の積立金で卒園を記念して作られたものです。
東京からモザイクタイルアーティストのKATSUさんという方が来てテントに泊まり込んで時間をかけて完成させたんだとか。

タイルには卒園した子どもの顔もついているんですよ!

その壁面の中に楽天イーグルスの帽子をかぶったリスがいるので、ぜひ探してみてくださいね!

歌って♪踊って♪

2020-02-07
父母の会主催の行事がありました。今回は近隣の児童館からゆかいな2人組「ボンクラーズ」が来園。
こどもたちの知っている曲もあり、みんなノリノリ!!
とても楽しい時間をすごしました。
ボンクラーズのみなさんありがとうございました!

きゃ~!鬼だ~!

2020-02-03
今日は節分の日。
小さい子たちは段ボールの鬼めがけて「おにはそと~」
大きい子たちは鬼グッズを身に着け、自分の中の追い払いたい鬼を鬼のお面めがけて豆まきをしました!
本物の大豆を炒って、鬼が来ないようにしてみましたが、、、今年もやってきてしまいました。あの鬼が。
社会福祉法人五城福祉会
五城保育園
〒983-0842
仙台市宮城野区五輪1丁目4-20
tel 022-257-0458
fax 022-257-0458
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